私たちが生きる世界には、全ての物事に両極(Porality)、逆説(Pradox)が付き添っています。
+ −、陰陽、白黒、前後、左右、上下、天地、賛否、明暗 · · ·
「波動の共鳴」「HADO気づきの瞑想」を使いこなすのに、この世の全てに"両極“が有る事の原理を知らずには前に進めません。
どんな人の見解にも必ず賛否両論が起こります。多数決において99対1に見解が別れたとしても両論が存在します。この結果は99人が支持する意見が正しくて、1人の人の意見が間違っているという意味ではありません。99対1というのは、ただの統計の数字でしかありません。その1人の人の意見が非常に貴重である事も確かです。また、現代社会の平和的バランスにおいては、時として、人数の多い方の意見に合わせるという事も必要になります。仮にそれが、100対0だったとしても、たまたまその反論を100人全員が選ばなかっただけで、反論は存在します。また、その100人にそちらを選んだ理由を聞けば、両論様々な意見が存在します。
この様に、この世に「両極」が有る事で、私達の心は非常に助かる事が沢山有ります、もし「両極」が無ければ、常に究極となり、追いやられた状態が続くと言う、実際は有り得ない状況が起きます。 ところが、人の心は時として、この様な状況に陥る事もあります。 そんな時、その目の前の事だけが、唯一だと思い込んだ状態に陥る事も有ります。
大きな事故にあい、身体的に大きなダメージを受けても、「一命をとりとめてラッキーだった」と表現します。 どんな境遇に有ろうとも、必ず、その物事の反対側の極が有ると言う事は、“見方を変えれば・・・”という表現で表されています。 そして、この「両極」にもHADO(周波数)があるのです。