「瞑想・Meditation」 をされていたと確認できる一番古い歴史上の跡は、 今から約紀元前2000年から2500年前のインドに遡ります。
インダス文明(Indus Valley Civilization IVC)の初期は紀元前3300年頃から確認されていますが、文明として統一されていただろうと思われるのが、紀元前2600年から1900年頃だといわれています。 この時期、紀元前2500年から2000年頃にHindu(ヒンデュー)の教えがあり、その教えの経典の中に「瞑想・Meditation」 という言葉が書かれている事が発見されています。
最古の文明がSouthern Mesopotamia のSumer(シューマー文明)の元前5500-4000年で、Sumerians(シューマー人)が紀元前3300年頃、最初の文書を作り出したという記録がありますので、『瞑想』の文字が紀元前2500年となれば、ほぼそれ以上前の文字での記録を追及するまでも無く、この頃には『瞑想』は行われていたという証になるでしょう。
また、インドにおける「瞑想」の最高峰のマスター(聖者)は、これらの『瞑想』の歴史の前進であり、その歴史は今から5000年以上前のヒマラヤに有るといわれています。
ヒマラヤ山脈に篭り『瞑想』を深め “生死を越えた『サマディ』” に達し、『宇宙の科学』を知り尽くしたマスター、聖者(リシ)はその修行を人々に伝え、それらは後にヒンデューの源流ともなる、サナタン宗教 (※べダンタの教え-永遠不死、神に出会う不死の教え)を生んだのです。
仏教はヒンドウ教の源流サナタン、べダンタの教えの一部の影響を受けて生まれた。
また、紀元前2600年頃には、同じくインダス文明の都市Mohenjodaroでヨギが「瞑想」をして入るポーズが封印に刻まれている様子が発掘されています。
止観(しかん)とは仏教の「瞑想」で使われる言葉。
仏教以前にもインドにおいて広く行なわれてきた修行の根本である瞑想方法。 サマタとは心を落ち着けるということであり、心の動揺をとどめて本源の真理に住すること サマタ瞑想は呼吸を対照とする。サマタ瞑想は集中力を育てると言われている。
サマタ瞑想にあまり重点を置きすぎると、それによってもたらされる三昧の快楽に耽ってしまいがちになり、なかなか悟りが開けないという点も指摘されている。
「よく観る」「物事をあるがままに見る」 不動の心が智慧のはたらきとなって、事物を真理に即して正しく観察すること。 上座部仏教(小乗仏教)の 観行瞑想 を指し、 またそれを現代風にアレンジした瞑想法のこと。
現在、欧米で広まっているヴィパッサナー瞑想の一類であるマハシ系の瞑想法においては、その 観察することを中心とし、釈迦が新しく開拓しそれによって悟りを開いた仏教独自の瞑想方法。
ブッダの悟りはサマタ瞑想ではなく、あくまでもヴィパッサナー瞑想によって開かれたのである。
マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー(Maharishi Mahesh Yogi 、1918年-2008年)は、トランセンデンタル・メディテーション(超越瞑想・TM)の創立者。
物理学の学位取得。 1955年に「トランセンデンタル・メディテーション Transcendental Meditation , TM 」(超越瞑想)と名付けた瞑想技術を教え始めた。1960年代にはアメリカを中心として活動。
1970年代にサイエンスの論文をきっかけにTM の科学的研究が積極的に行われ、現在に至る瞑想や呼吸法の科学的研究の草分けとなった。
労働省産業医学総合研究所の研究(衛生学学会1987原谷隆史/古川千勝)などがきっかけになり、ソニー、京セラなどが企業導入したが、その背景には、井深大、稲盛和夫などのトップの影響があった。
日本の企業による瞑想研修は海外にも影響し、IBM、ゼネラルモーターズなどの大企業も研修として採用したが、バブル崩壊、オウム事件の煽りを受け、その後、瞑想研修は下火になっていった。
キリスト教の伝統においては、特に修道院の修道士らの日課には瞑想を行う時間が設けられていることが多い。
カバラ(ユダヤ教の伝統。仏教の密教と似ている)の書にマカバは出ている。(BC100-AD1000)
身体と心・・宇宙と自分を「結びつける」などの意味がある。
Moksha (モクシャ) = 解脱へ向けて修行する事は全てヨーガ
古代インド発祥の修行法。六派哲学のヨーガ学派から始まった、解脱、すなわち個体魂の神への結合を実現するための実践体系を指す。
アーサナ(asana,姿勢)や、プラーナーヤーマ(呼吸法)からサマディへの道。